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淡路九条の会

立場や考え方を越えて草の根の平和を求める淡路の九条の会の意見表明のブログです。

第1回戦争遺跡見学会

<span style=第1回戦争遺跡見学会</span>" border="0" width="915" height="628" /> 去る十月三日(土)第一回戦争遺跡見学会として阿那賀桜ヶ丘の宝塚海軍航空隊墓地へ行きました。宝塚航空隊予科練生は本土決戦に備えて海軍の砲台を伊毘に建設するために宇高連絡船経由で来る途中阿那賀沖で米軍戦闘機に機銃掃射された。この攻撃で八十名が戦没し、一般に「鳴門事件」と呼ばれ小説やドキュメントとして本に書かれている。予科練生であるので、十四歳~十九歳の少年兵で、出身地も樺太から鹿児島まで全国にわたり、墓石を見るだけでも涙をさそいます。この墓地では毎年事件の起きた八月二日に予科練生存者により慰霊の墓参が行われている。丸山漁業活性化センターに集合し、概略の説明の後津名高校放送部作成の鳴門事件を扱った「伝えたいこと」というDVDを視聴しました。そして、事件の目撃者である地元丸山の菅育郎氏より、証言を聞きました。その後、遺体安置所であった春日寺へ行き、遺品や写真を見学しました。
負傷兵の包帯を洗った川は 真っ赤に
ー生々しく語る菅氏ー

機帆船は丸山の船で住吉丸と言っていた。船長も機関長も丸山の人であった。普通機帆船は丸太を前から後ろへ渡して板を置い船倉に蓋をするが、夏の暑いときなので上は開けっ放しであった。そこを銃撃された。銃撃と言っても、ものすごい威力で手がちぎれたり頭がとばされたりしてむごたらしい惨状であった。瀕死の少年兵は「お母さん。お母さん。」と叫んでいたそうです。
 丸山へ住吉丸を曳航して五人ぐらいの負傷兵を青年団会堂へ収容した。女子青年団で手当をしていたが、包帯や下着を洗った川は血で真っ赤に染まった。重傷の人は福良や洲本・岩屋へ運んだ。一部阿那賀の佐藤先生の所で手当をしてもらっていた。
対岸の島田島で助けられた予科練生についは、急激に暖めたらだめなので女の人が裸になって布団のなかでぬくめて、一命を取り留めたという証言が出てきている
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テーマ:歴史 - ジャンル:政治・経済

  1. 2009/12/20(日) 12:03:30|
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